スタッフ紹介

永海 亮(ながみ りょう)

永海 亮(ながみ りょう)

出身地
三重県鈴鹿市
趣 味
旅行、野球
血液型
B型

施術家になったきっかけ

野球好きな父親の影響で小学生の時から野球をしていました。
小学生や中学生の頃からケガは頻繁でしたが、当時はシップを貼ったり安静にしていればすぐに良くなっていたので、長期間痛みに悩まされるという経験はありませんでした。

しかし、高校2年生の時にいつも通り練習をしていると周りの人たちから「足どうしたの?」と聞かれるようになりました。
その時には自分が足を引きずっているという自覚がなかったので気にせず練習をしているとそのうち右足に激痛と痺れが出てきました。

 

その次の日に整形外科に行きレントゲンやMRIを撮ってもらうと腰椎椎間板ヘルニアと診断されました。
それからしばらくは歩くのも痛い状態だったので1週間ほど練習を休み、毎日整形外科に牽引や電気治療を受けに行き安静にしていましたが症状は何も改善されませんでした。

 

自分は早く練習がしたいと思い痛みがありながらも練習に参加し、あまりにも痛みや痺れが強い時は練習を休んでいましたが、基本的には痛みや痺れを我慢して足を引きずりながら練習に参加していました。

結局高校野球を引退するまで痛みや痺れは続き思い通りに体を動かすことが出来ませんでした。

野球部を引退した後も痛みが引かなかったので、整形外科で治療を受けていましたが症状に変化が無くて困っていた時に、友達が行っているという接骨院を紹介してくれたのですが、そこで僕は衝撃を受けました。

 

なぜならもう治らないのではないかと諦めていた痛みや痺れが1回の施術でほとんど改善されたからです。

その時に担当してもらった先生に「ヘルニアと診断されたからと言って、そのヘルニアが原因で痛みや痺れが出ているとは限らず、実は骨や関節の不調以外にも筋肉の固さや生活習慣に原因があったりする」という事を教えて頂きました。

正直病院で治らなかった症状が接骨院で改善するというイメージが自分の中には無かったので心の底から「もっと早く来ればよかった」思った事を覚えています。

そしてその日から、過去の自分のように「治療を受けても症状が改善しない事によって困っている人」や「諦めてしまっている人」を1人でも多く救いたいと思い施術家の道へと進みました。

施術への思い

施術家になる事を決めていた僕は専門学校に通いながら接骨院でアルバイトをしていて、将来アルバイトをしている接骨院でそのまま正社員として働こうと思っていました。

ですがそこでの施術は電気治療や機械を使った後にマッサージをして終わり、というような単調なもので「本当に患者様1人1人と向き合えているのか」という疑問や「これから長く働く上で自分がやりたかったことが本当に出来るのか」と考えているうちに何か違うと感じ、就職先を考えるようになりました。

就職先を探していた時に、このサニープレイスとご縁がありました。
この会社のどこの病院に行っても治らない方達の症状が改善されるという言葉に惹かれ、自分の求めていたものはこれだと思い入社を決めました。

患者さんへの対応や手技のテストなど厳しい2ヶ月間の研修を経て、施術に入りだしました。

その時は「やっと患者さんを救うことができる!!」
そんな気持ちでいっぱいでした。
ですが現実は思い描いていたものとは全く違いました。

勉強してきたという自信はありましたが、患者様からの質問に対して上手く答えられなかったり、思い描いていたように患者さんの症状が改善しなかったりと入社して半年くらいまでは、帰り道は落胆しながら帰っていた記憶があります。

それに対して僕は知識が足りないのだと思い、治すことができなかった症状について書いてある本を読み、勉強したのですがそれだけでは患者様を笑顔にすることはできませんでした。

本気で困っている人を助けたいと想い施術家になったのに、なぜ患者様の症状が早く改善していかないのかをこれまで以上に本気で考えました。

そして自分の中で出た答えが、自分の力だけで解決しようとしすぎていたということでした。

それからは積極的にセミナーや勉強会に参加して新しい知識を身に付けたり、自分より経験のある先生達に質問したり、その先生達におすすめしてもらった本を読み漁ったりする事によって、体を良くするためには根本的な体液の循環から改善しなければ痛みが繰り返してしまうというところに行き着きました。

それからは体液の循環を改善させる施術を追求し、技術を磨き続けました。
その結果として、今では患者さんからは「ありがとう」「もっと早く来ればよかった」などとても嬉しい言葉をいただけて、心の底からこの道に進んでよかったと思っています。

ですが現状に満足することなく、白衣に袖を通している以上は自分の言葉や施術が患者様の人生を変えるという事を忘れずに、技術を磨き続け、患者様に笑顔になっていただけるようにこれからも最大限の努力をしていきます。

「自分の症状は改善できるのかな?」「この症状はもう改善できないんじゃないか?」

そんな風に思われているのであれば、是非一度僕達にご相談ください。
様々な観点から施術を行い、1日でも早く症状が改善するよう全力でサポートさせていただきます。

神谷 千景

神谷 千景

出身地
安城市
趣 味
安城市
血液型
B型

施術家になったきっかけ

学生時代に馬術部だった関係でご縁を頂き、大学卒業後は乗馬クラブで働いていました。
高校から乗馬だけが楽しくてそれだけをやってきたので、きっと自分は一生馬と関わって生きていくんだろうと思っていました。

その当時、私の実家で整体師さんに来ていただいて家族が整体を受けていたこともあり、昔から整体は身近にありましたが、自分は興味を持ったことはなく、受けたこともありません。

そんな私が整体に興味を持ったきっかけは、クラブの人にマッサージをしていたことだったと思います。
知識もなくただ頼まれるからやっていたので、最初は何も思わずにやっていたことでしたが、次第に「スッキリした、ありがとう。」と言ってもらえる事がうれしく思うようになりました。

馬をやっている人は、ほとんどの人が腰痛を持っています。
整体を受けているという人も多く、整体のおかげで何とか乗ることが出来ているという話を聞くこともありました。

馬が好きな人には痛みを感じることなく100%乗馬を楽しんでほしいと思ったこと、「これのおかげで好きなことが出来ている」なんて言ってもらえる職業はそんなにあるものではないので魅力を感じたことが、施術家を目指すきっかけになりました。

施術に対する思い

初めて勤めたのはカイロプラクティックの治療院で、カイロや整体だけでなく、リンパドレナージュや痩身の技術など、お客様の様々な悩みや症状に対応できるように学んできました。

定期勉強会や空いた時間にスタッフ同士で練習するなど技術を磨いて、お客様の症状の改善が出来るように努力してきました。

しかし、常連のお客様は毎回体が痛いといって来院し、スッキリしたと言って帰る…段々とそれが当たり前になってきて、これ以上悪くならなければ良いという方やリラクゼーションで来られる方もいました。

そんな日が続き、時間がたった頃、ふとある事を思いました。
私は最初、皆が痛みを気にすることなく日常生活を送り、好きなことを好きなだけ出来る様になってほしい、そしてそれが実現できる施術家になる為にお客様の不調を根本的に改善して痛みが出ないようにしたいと思ってこの世界に入ったはずでした。

これは私のしたかったことではないと気付き、初心に返り改善できる施術家になると、改めて心に決めました。

そら整体院で働くようになった現在、「症状がなくなってきた」というお客様の言葉に、お客様が健康になる為のサポートが出来ることに喜びを感じています。

1人でも多くの方がいつまでも健康で、好きなことを好きなだけ出来る充実した毎日を過ごして頂ける事を願い、そのサポートができるようこれからも努力し、技術を磨いていきます。

笠野 悠太

笠野 悠太

出身地
日進市
趣 味
野球、スノーボード、釣り
血液型
O型

施術家になったきっかけ

僕は小学校、中学校、高校と野球をやってきました。

小学校ではクラブチームに所属し、中学校では実績のある監督の元全国大会を目指し、高校では部員数100人を超える私立の高校で甲子園を目指してやっていました。

そんな夢に向かって練習していたある日、中学校での練習中に肘に違和感を感じました。

まぁ大丈夫だろうと思いながら練習をやっていると急に肘の外側にピリッとした痛みが走り、その瞬間から手に力が入らなくなりました。
急いで病院にいき見てもらうと「異常はないですね」と病院の先生に言われ薬をもらいました。

その薬を飲みながらだましだましやっていたのですが練習中にまた同じような痛みがおこり、ついに手の感覚がなくなっていきました。
今度は違う病院に行きレントゲンなどしっかりと見てもらうと先生から、「離断性骨軟骨炎」がおきているよと言われました。

話を聞くと投げすぎやフォームが悪いせいで肘の軟骨部分が剝がれてしまっているみたいで、「野球を続けるなら手術が必要です」と言われました。

当時大会を間近に控えていた僕は、その瞬間頭が真っ白になった事を今でも覚えてます。
大会が近いこともあり手術は断りましたが、ボールを投げると肘に激痛が毎日ありました。

そんな時に自分を見てくださったのが整形外科でのリハビリの先生でした。

練習が終わるのがいつも20時ごろで整形での受付時間にはどうしても間に合わない、ということを話すとその先生は、「何時でもいいから練習終わったらおいで。院の部屋一つ借りてあげるからそこで見るよ」と言われました。

自分一人のためにそこまでしてくれるなんて、その時自分もこの先生みたいになりたい、治療家になりたいと思いました。

その先生は痛みがある肘を触らず全身のバランスを整え投球フォームの指導や自宅でやるべきことを全て教えてくださいました。
お世話になったその先生のおかげで痛みが和らぎボールを投げれるところまで状態があがっていきました。
大会が終わった後には手術をしたのですがその先生も手術室に入ってくださったり、そのあとのリハビリにもたずさわってくださいました。

この先生みたいに一人の患者さんと真剣に向き合い自分の時間を削ってまで症状を改善させてくれた素敵な先生にあこがれて治療家を志しました。

施術に対する思い

自分は治せる治療家になりたくてこのサニープレイスに入社しました。
入った当初は右も左もまったくわからない状態でした。

初めは電話対応、敬語の使い方、言葉つかいなどしっかり教えてもらいテストの技術に関しても毎週テストがあり、スピード、精度、しっかり体が改善しているかなど、みっちり教えてもらいました。

技術のテストは特に厳しくみられ、何度も何度も再テストになりました。

そうやってみっちり教えてもらい、初めて患者さんに入りました。
初めはしっかり教えてもらった甲斐あって、自分でも驚くほど「先生、どんどん治ってきたよ」とか「痛みがなくなってきた」など、患者さんから言っていただけました。

そんな中、とある女性の患者さんを診させてもらう機会がありました。
その患者さんは右足にしびれ、痛みがあり、「変形性股関節症」をわずらっている方でした。

週2回しっかり施術をさせてもらいましたが、その場では体が一時的に良くなるものの、次来てもらう時にはまた足を引きずっている状態で痺れが出て来る日もありました。正直かなり情けなくなりました。

そこで技術セミナーにいきたいと会社に言ってみると、技術セミナーの案件をたくさんだしてもらいました。
それでも正直一回のセミナーで2万、3万は入社したばっかりの僕には高くて行けそうになかったのですが全額会社負担で行かしてもらいました。
毎週日曜日はセミナーに行ったり毎週金曜日は院での勉強会で練習したりして少しずつ精度や知識を増やしていきました。

そうやっていくうちに、その患者さんは日に日にしびれがなくなってきたり、体の動きがどんどん改善していきました。

「今年の10月には孫とUSJにいく予定をたてました」と笑顔で言っていただけました。

治療家になって本当によかったと心から思った瞬間でした。

もしあなたが昔の僕のように、やりたい事がある、目指したい事がある。
でも体が痛い、悪いせいで諦めなければいけないと思われているようでしたらぜひ1度ご相談ください。
これからも治療家として努力を怠らず、1人でも多くの患者さんを笑顔にできるように努力していきます。